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登録日:2015/03/31 Thu 13 43 50 更新日:2024/02/21 Wed 12 08 52NEW! 所要時間:約 31 分で読めます ▽タグ一覧 1990年 アメリカが元凶 イラク イラン クウェート侵攻 ゲームボーイ スカッドミサイル テレビゲーム戦争←そうでもない バブル期 フセイン ペルシャ湾 ミサイルの乱舞 世界史 半年間の戦争 宍戸錠 忘れてはいけない 戦争 所要時間30分以上の項目 武力制圧 海部俊樹 湾岸ミッドナイト 湾岸戦争 爆撃←兵器には効果なし、士気には効果あり 現代史 石油価格の高騰 空爆 近現代史 湾岸戦争(Gulf War) 期間:1990年8月2日~1991年2月28日 主要交戦国 クウェート、アメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、エジプトなど VS イラク 湾岸戦争とはイラクがクウェートに侵攻したのをキッカケに国際連合が多国籍軍の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事に始まった戦争。 別名「第一次湾岸戦争」とも呼ばれる。 当時のメディアがミサイル爆撃の様子をゲーム画面のように表示したため、それにあやかって『テレビゲーム戦争』や『ニンテンドー戦争』とも呼ばれていた。 これは当時の湾岸戦争に対する代表的なイメージだが、実は幻に過ぎない。 というのも多国籍軍航空部隊は1ヶ月もの間、イラク南部からクウェート全域で防衛していたイラク軍を徹底的に爆撃したが、無力化はできていなかった。 その為、大規模な地上戦に移行せざるを得なかったのだ。 つまり「戦争はゲームのようなもの」という価値観を米軍はなんとかして入れ込もうと必死だったのだ。 これはベトナム戦争で報道管制を殆どと言って良いほど敷かなかった為、反戦運動を引き起こして国政が混乱した事による反省と対策である。 (当然だが当時の将官・将兵はベトナム戦争経験者が多い) 戦争の発端 戦争前夜 イラクのクウェート侵攻イラク地上軍の内実 多国籍軍 イラクの様子 ナイラ証言 人間の盾 砂漠の嵐作戦(Operation Desert Storm)F-117 トマホーク巡航ミサイル B-52 F-111 F-15E A-10 諸国への爆撃ハフジの戦い 砂漠の剣作戦(Operation Desert Sabre)M1A1 M2/M3ブラッドレー AH-64 アパッチ 停戦と新たなる野望 戦後 余談 戦争の発端 1980年のイラクによる宣戦布告開始から、1988年のイラン敗北まで続いた「イラン・イラク戦争」。 これが終結した2年後の1990年に、この「湾岸戦争」は起きた。 時はバブル経済の真っ最中であり、バブルで浮かれていた日本人にも激震が走った。 イラクは先の「イラン・イラク戦争」中、アメリカ合衆国や旧ソビエト連邦(現ロシア)等の大国や、ペルシア湾岸のアラブ諸国に援助されて、軍事力は中東では最大規模であったが、同時に一連の戦争で600億ドルの借金を抱える事になり、戦災によって経済の回復も行き詰っていた。 長期間の戦争で山積みになった債務を帳消しにするには、原油輸出による外貨の獲得ぐらいしか道が残されていなかった。 しかしこの時期は原油価格が低値となっており、一度は原油価格のアップをOPECに要望したが受け入れられずスルーされた。 一方でサウジアラビアとクウェート、アラブ首長国連邦(以下UAE)等の諸国はOPECの割当量を超えた石油の増産を行なっていた。 サウジアラビアはOPECへの発言力も大きい手前、表面的には指示に従っていた。……が、王族であるサウード家は密かに私有物として原油を採掘し、それを他国で売り買いしていた。 クウェートとUAEはOPECを完全に度外視する量の原油を採掘し、原油価格は値崩れを起こし、価格は大きく下がってしまう。 それでイラク側が怒った事が、戦争の原因の一つになってしまう。 戦争前夜 1990年7月17日 イラク革命記念日での演説においてサダム・フセイン大統領はこう言った 「一部のアラブ諸国が世界の原油価格を下落させる事によって、イラクを"毒の短剣"で背後から突き刺そうとしている。 彼らが言葉で警告しても分からないのならば、何らかの形で経済制裁を加えるであろう。」 この発言は遠回しにクウェートとアラブ諸国を非難している。 これを受けたアラブ諸国は石油増産の縮小を行ったが、一方のクウェートはいかなる行動も起こさず、悪びれた様子もなかった。 その為、イラクは余計に怒りのボルテージを上げさせた。 1990年7月18日 イラクのターリク・アズィーズ外相は 「クウェートとUAEがOPECの生産協定を破り、生産枠を越えて石油を生産した事によって、アラブ全体で5000億ドルもの損失を被った」 と主張。 そして「クウェートに限れば、イラクが890億ドルの損害を被ったばかりか、イラクの領土にあるルマイラ油田から石油を盗掘している」「盗掘が80年代から続いており、イラクは24億ドルもの損害がある」という趣旨を述べ、「クウェートが、国境付近のイラク領内に軍事基地を建設している」とも非難する。 クウェートはルマイラ油田から大量採掘を行ったが、この油田についてはイラクも領有権を主張しており、以前から幾度か帰属を巡って対立してきた歴史があった。 これらイラク側の批判に対してクウェートのジャービル首長は 「単なる金目当ての脅しである」 と勝手に判断し、イラクの主張を完全否定すると共に軍を総動員した。 一方のクウェート国内では石油利益の配分を巡って対立が激化しており、かつてクウェート政府がイラクに無償で支援した100億ドルを返済させる暴動が起こっていた。 この暴動に対応する為、クウェートはイラクにドルの返済を働きかけたが、当時のイラクには返せる資金はなく、逆にさらなる資金額を要求された為、両者の対立が本格化する。 フセイン大統領の怒りは収まる事なく、怒りの矛先は事件の引き金であるクウェートに向けられていた。 さらにはこのクウェートの背後にはアメリカやイスラエルが暗躍している……という陰謀論にも取りつかれていた。 この事態を受けて周辺のアラブ諸国が問題解決の為に仲介に乗り出し、サウジアラビア(*1)のサウド・アル・ファイサル外相が同国のファハド国王の親書を携えてイラクを訪問する。 時を同じくしてアラブ連盟のチェディル・クライビー事務総長がクウェートを訪れ、ジャービル首長を説得した。 クウェート政府はイラクとの間で盗掘問題を交渉する事に合意したと発表し、軍の動員も解除しめでたし、めでたし… となるのかと思いきや、これらの外交交渉はイラクの軍事的脅威を恐れるクウェートが、サウジアラビアやアラブ連盟に呼びかけていた裏工作、つまり陰謀であった為、むろんイラク側はそれらがでっち上げである事は知らない。 エジプトのムバラク大統領もフセイン大統領と直接電話で会談し、慎重な対応をするよう注意喚起を促し、イラクのアズィーズ外相もエジプトを訪問した。 だが一方の『イラク国営通信』は 「クウェートは湾岸への外国勢力の侵入に手を染めている」 とイラク政府の報道官の談話を発表した。 イラクの国営紙である『ジュムフーリーヤ』も 「クウェート側もイラクの油田盗掘を未だに止めず」 とイラクによるクウェートへの非難は収まらなかった。 またムバラク大統領もイラクのフセイン大統領と電話で会談し、慎重な対応をするように説いた後にイラクのアズィーズ外相もエジプトを訪問した。 これらの事態を重く見たエジプトのムバラク大統領は、「問題解決の為にイラクとクウェートの両国を訪問する必要がある」と意思表明し、「アラブ外相会議の開催を求める一方で、当事者である両国に対しては互いの非難や誹謗中傷を今後の関係の為に控えるように」とムバラクは厳重に注意をする。 だがフセイン大統領はムバラクの忠告を堂々と無視し、クウェートの国境に3万人の兵を集めて本格的な武力介入に出る。 同日にエジプトのムバラク大統領は、前に忠告を無視されたのにもかかわらず不屈の精神で交渉を諦めずに イラクを再訪問し、フセイン大統領に対してクウェートに対する軍事行動を起こさないように厳しく呼びかけ イラク、クウェート、サウジアラビア、エジプトから成り立つ『四カ国会議』を提案する。 ムバラクの熱い思いによって心を動かされたフセイン大統領はクウェート側への要求として 石油を盗掘した分(24億ドル)の支払い 国境画定に向けた直接交渉 を求め、これが受け入れられなければイラクは軍事的な制裁を取ると述べた。 ムバラク大統領の提案した四カ国会議はクウェートにとって有利なものであった為、イラクが孤立する事を恐れたフセイン大統領は 『四カ国会議』を拒否し、あくまでもクウェートとの直接交渉を求めた。 アメリカの駐イラク特命全権大使であったエイプリル・グラスピーはイラク側の裏工作と意図が読み取れずフセイン大統領と会談を行った後、そのまま会議中にフセインの言ったことを鵜呑みにし 「あなた方の国境問題(アラブ紛争やクウェート問題を指して)に介入する気はございません」 と問題に対する不介入を示したあと(要するにアメリカ側にとって中東問題は他人事であり国の問題は自分たちで解決して下さいという意味) イラク軍を本格的に動かす要因を作ってしまうのだが、それに気付いたアメリカ軍によって阻止される。詳しい経緯は不明だが彼女は事後に消息を絶つ。 1990年7月27日 翌日、イラク軍は国境の北に共和国防衛隊を集結。 戦車部隊は砲門を南側へ向け砲撃体制の準備していた。 まるで狂犬が人間を威嚇するかのように。 アメリカ側はこれを受けて周辺アラブ諸国に通知したが、湾岸諸国はあくまでクウェートに対する脅しと考えるのみで全く相手にしなかった。 騒動のゴタゴタに巻き込まれたOPEC側はフセインを納得させる為に原油価格をそれまでの18ドル→21ドルに引き上げたが フセイン大統領は既に交渉による解決に関心を示していなかった。 問題児であるクウェート側は金で物事を解決できると考えており防衛意識は皆無であった。 1990年7月31日 聖地マッカの玄関口であるジッダで開かれた両国会談ではイラク側代表のイッザト・イブラーヒーム革命指導評議会副議長が、これまでの要求に加えて イラク側が長年領有権を主張していた「ワルパ島とブービヤーン島をイラクに割譲すべきである。」という要求を助長させることになる。 当のクウェート側のサアド首相はイラクの要求を拒否すると共に「話し合いの継続を希望する」とのみ答えた。 イラクは次回協議をバグダッドで開くことを予定し、会議の進展はなく終了した。 1990年8月1日 両国を仲介していたエジプトのムバラク大統領とパレスチナ解放機構(PLO)のヤーセル議長は、 「まずイラクのクウェート侵攻はあり得ないであろう。」とクウェート側に明言し自国のテレビ局で断言する。 この段階ではイラクとクウェートの武力衝突は誰しもが避けられると思っていたのだが・・・ ムバラク大統領の手助けと国民の心配も虚しく状況はより悪化する事になる イラクのクウェート侵攻 1990年8月2日 イラクの共和国防衛隊の戦車350両を中心とする機甲師団10万人はクウェートに侵攻を開始する。 クウェート軍の50倍の兵力による奇襲によって午前8時にクウェート全土を占拠した。 『革命評議会』は 「我々のクウェート政権が倒されてしまった・・・」と敗北宣言。 翌日の夕方にはイラク国営放送が、 「アラー首班を中心とする政府閣僚のほぼ全員がクウェート人には知られていないが、殆どイラクの軍人であった」 と報道し、クウェート側は「自分たちは(イラクの)フセイン政権の手の掌で踊らされていた操り人形に過ぎなかったのだ」と落胆する。 全てはフセインが仕組んだ計画でありクウェート侵攻は完全な予定調和だったのである。 事実を知ったクウェートのジャービル首長は我を失い、サウジアラビアへ亡命し消息を絶つ。しかし異父弟のシャイフ・ファハドは逃亡に失敗し、少数の警備隊ともに宮殿内での銃撃戦により死亡する。 フセインは結果として偽りの友情を培ってきたムバラク大統領とパレスチナのアラファート議長を完全に罠にハメる事に成功したのである。 イラク軍にはこの侵攻計画を事前に知らせておらず、参謀総長や国防大臣はクウェート侵攻をテレビなどのメディアを通してある程度は察知していたものの、意識は完全に蚊帳の外であった。 イラク地上軍の内実 湾岸戦争で、そしてイラク戦争で結果的に惨敗したイラク軍を多くの人は「雑魚」だと思うかも知れない。 しかし、注意しなければならない。当時のイラク軍は世界第3位とも言われる程の軍を整備していた。 湾岸戦争へ突入する前にこのイラク軍の地上軍のことを少し知っておきたい。 まずイラク地上軍は大きく2つに分かれる。陸軍と共和国親衛隊だ。 陸軍は数が多いが兵器の質に劣り、共和国親衛隊は数が少ないが兵器の質で勝る。 数が少ないと言ってもクウェート侵攻直前には 総兵力15万人、8個師団 戦車1100両 装甲車700両 野砲800門 を保有する大陸軍と化していた。 大雑把な比較だが、同時期の陸上自衛隊以上の規模を有していた。共和国親衛隊だけで。 配備される兵器においては共和国親衛隊と陸軍で全く違う。 戦車…共和国親衛隊 T-72/陸軍 T-55orT-62 装甲車…共和国親衛隊 BMP/陸軍 APC(*2) 野砲…共和国親衛隊 自走砲/陸軍 牽引砲 共和国親衛隊にはSA-13ゴーファー自走対空ミサイル、ZSU-23-4シルカ対空自走砲といった対空兵器もあり 両者の協同による機関砲とミサイルの弾幕は多国籍軍の空爆をできる限り妨害した。 当然彼らは士気も高く、次々と投降する陸軍とは別格の戦いぶりを見せつけた。というか湾岸戦争の地上戦は彼らを撃破することが目標だった。 そしてこの共和国親衛隊と合わさったイラク地上軍は 63個師団、110万人 戦車5800両 装甲車1万2000両 の規模となる。 何故、多国籍軍(大半はアメリカだが)が大規模な軍勢を中東に集結させる必要があったのか、分かるだろう。 多国籍軍 ↑湾岸戦争の多国籍軍に参加した国の地図。米英などの旧西側諸国だけでなく、当時アメリカと対立していたシリアなどまでが参加していることが解る。 イラクの軍事侵攻に対し、同日中に国際連合安全保障理事会の会議が開かれ、無条件撤退を求める安保理決議を採択。 1990年8月6日 全加盟国に対して イラクへの全面禁輸の経済制裁を行う決議を行った。 石油の価格は一時ながら高まったものの、イラクにとって(経済制裁を受けていた故)何のメリットも無かった。 1990月8月7日 アメリカ合衆国大統領のジョージ・H・W・ブッシュ(後のイラク戦争を起こしたブッシュJr.の実親)がサウジアラビアを武力で威圧する。 そしてアメリカ軍の駐留を承諾しサウジアラビアへの派遣を決定する。 今となっては信じられないが、かつてアメリカはイラン・イラク戦争の際にイラクを支援しており サウジアラビアも国内に聖地メッカを抱え、外国人に対して排他的な姿勢であるため 異教徒に軍の進駐を認めることはイスラム国家にとってにわかに信じがたい出来事であった。 サウジアラビアとしても石油の過剰輸出の件でイラク側と対立していたこともあり、クウェートに続いて自国も侵略される事に怯えていた。 バーレーン、カタール、オマーン、UAEといった湾岸産油国もアメリカに同調していった。もはやアメリカが神であり唯一の救世主であった。 アメリカは国連軍の編制は法律の関係で出来ないため有志を募るという形での多国籍軍での攻撃を決め、これにイギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国がこれに続いていく。 エジプトなどのアラブ諸国もアラブ合同軍を結成し、これに参加した。 アメリカと敵対関係にあったシリア側とも友好関係を結び、参戦を決定する。実態はレバノン内戦に関する取引である。 詳しい意図は不明だがアメリカはバーレーンに司令部を置いた。多国籍軍の50万人がサウジアラビアのイラク・クウェート国境付近に進駐を開始する。 多国籍軍は全く関係のない国同士や敵国も混ざり合っていたのでリアルキン肉マン状態となっていた。 日本側はあらかじめ自国の法律で戦争に参加しないと決めていたため、軍に対して総計135億ドルの援助を施していたわけだが、 そのため参戦した各国の代表たちから「金だけ出して人を出さず」、「似非国際貢献」、「一国の平和主義」等と非難される事になる。 135億ドルという数字も、石油に依存している国としては出費している金額自体は少ない方である。 イラクの様子 1990年8月8日 国連の決議が却下される。さらに態度を硬化させギクシャクとした関係になる。 イラクは「クウェート政府が母なるイラクへの帰属を求めた。」として、クウェートをイラク第19番目の県"カーズィマ県"としての併合を宣言。 1990年8月10日 アラブ側は首脳会談を開いて共同歩調をとろうとした。しかし、いくつかの国がアメリカに反発してイラク寄りの姿勢を採ったため 取りあえずイラクを非難しようぜという下らないものになった。 1990年8月12日 イラクは「イスラエルはパレスチナ侵略を容認しており、今回のクウェート併合を非難するのは矛盾しているではないか!」と怒るが、当のイスラエル側に聞く耳は持ってもらえなかった。 後に「イスラエル国のパレスチナ退去などを条件に撤退する」と発表したがそれも全く意味のない事であった。 ナイラ証言 1990年10月10日、クウェート人難民のナイラと称する少女が「イラク軍はクウェートの病院からの略奪を行い、多くの新生児を銃剣で刺すなどして虐殺した」と証言。 この証言はアメリカ全土にテレビ放映され、また議員らも彼女の証言を引用するなどしてイラク軍の悪虐ぶりを知らしめ、アメリカ国民は湾岸戦争開戦へ前のめりになってゆく。 しかし後にこの証言は全くのウソだと判明。しかもナイラはクウェート政府高官の娘であり、挙句の果てにはクウェートに住んでいなかった事が暴露される。ちなみに「新生児を銃剣で刺す殺すなどして虐殺」というのは第一次世界大戦の頃から使われている定番のプロパガンダである。 人間の盾 1990年11月28日 イラクはクウェートから強制的に連行した外国人を「人間の盾」として人質にするのと同時に国際社会に発表する。 {この戦争とは本来は無関係だった日本、ドイツ、アメリカ、イギリスなどの民間人を、自国の軍事施設や政府施設などに人間の盾として監禁する、というものだった。 } この卑劣な行為は世界中からの批判を浴びる事となり大バッシングを受ける。 これを受けた後にイラク政府はお茶を濁し、すぐさま人質の解放を行った。その後に多国籍軍との開戦直前の12月頃に全員が解放された。 しかし、あいも変わらず懲りないイラクは敵国であるクウェートの占領を続けていた。国連の度重なる撤退命令を無視したため年末の11月29日に国連安保理を開催し、 年始の91年1月15日を撤退期限とした。後に対イラク武力行使容認決議を採択する。 砂漠の嵐作戦(Operation Desert Storm) 1991年1月17日 年始早々に多国籍軍はイラクへの爆撃を開始。宣戦布告は行われなかった。 CNN放送は空襲の様子を実況中継し、世界中に事実を知らせるため報道を命がけでリポートする。 イラク軍は多国籍軍の圧倒的な戦力・優勢を察知して、航空兵力の損失を恐れて空中戦を控える体制に入る。 自国の軍機をイランなどの周辺国に強制的に退避させたり、イラク航空の旅客機も同じように周辺国に退避させるという完全に逃げの姿勢であった。 ……この作戦の効果だが、後の分析ではこのような爆撃ではイラク軍野戦部隊をほとんど撃破できなかったと判明している。(空軍、海軍はほぼ壊滅した) 総司令官のシュワルツコフは「地上戦の前までにクウェート戦域のイラク地上軍を爆撃によって半減しておく」と明言していたが、 実際には戦車は40%、装甲車は30%、野砲は47%、兵員は34%しか撃破できなかった。目標は結局達成できず。 しかもイラクのエリート部隊、共和国親衛隊の戦車の80%は生き残っていた。 攻撃が成功しなかった理由は、イラク軍の対空砲火と掩体による防護が徹底していたからだ。 結局、圧倒的な航空兵力が向けられても、それの運用と、運用による被害を妨げることが出来れば案外どうにかなるのだ。 代表的な航空機も紹介しよう。 F-117 砂漠の嵐作戦を、そして湾岸戦争の先鋒を務めた。レーザー誘導爆弾を投下し防空組織の中枢を破壊した。初日の任務の平均命中率は57%。 唯一のステルス爆撃機だったためイラク中心部への精密爆撃という大任を任された。ただし夜間限定。 通信網は破壊できたが、対空兵器、ミサイルには手を付けていない。この膨大な兵器は空軍を最後まで苦しめることになる。 トマホーク巡航ミサイル 注目された新兵器であり、同時にイラク中心部の昼間爆撃に使えた唯一の兵器だった。 指揮統制施設や電力施設を攻撃した。目標にはバース党本部、大統領官邸も割り振られている。 B-52 ベトナム戦争の絨毯爆撃が有名だがここではクラスター爆弾で戦車をピンポイント攻撃しろという無茶な任務を授かる。 クラスター爆弾の火力は戦車だとエンジンにでも当たらない限り無力化できないし、イラク軍が暢気に戦車を地表に露出させる訳がない。 9日間の任務では連日平均35機のB-52が約1600発の爆弾を投下したが、戦果は1日当たり6~8両だった(しかも大半は戦車ではない)。 ただしイラク兵に対する心理的影響は絶大だったようでB-52の爆撃を恐れて投降した将校もいる。彼のいた所にB-52は爆撃しなかったのだが。 F-111 地上攻撃という点で最も活躍したのはA-10ではない。F-111 アードバーグである。 ベトナム戦争でも優秀だったこの機体は、湾岸戦争では当初は戦略爆撃に使われていた。 しかし、レーザー誘導爆弾(実は先程のB-52のクラスター爆弾より安い)を駆使することで、 掩体内に隠れている戦車と夜の砂漠の温度差を利用してFLIR(前方監視赤外線映像装置)のディスプレイから戦車を発見するというタンクプリンキング戦法が使えることが判明し、戦車狩りに移行した。 このタンクプリンキングの効果は絶大で、今まで安全な戦車の中で寝ていた共和国親衛隊の兵士が、戦車から離れた塹壕で寝るようになったと言われている。 なお戦争中に使用されたレーザー誘導爆弾の6割をF-111が投下した。 F-15E 当時最新鋭機ということもあり、数は多くなかったがF-111のような夜間爆撃に優れており、以降の戦争ではF-111の任務を引き継いでいる。 A-10 A-10の名を轟かせた戦争は湾岸戦争だが、イラク軍のエリート部隊である共和国親衛隊の、当時世界一と言っても過言ではない濃密な防空網には撃墜が相次いだ。 F-111のタンクプリンキングに刺激された上層部が、F-111では出撃できない昼間の、それも共和国親衛隊の爆撃に駆り出したのだが、A-10は鈍足で、装甲も大型ミサイルには十分ではなかった。 実際、2月15日の任務では6機出撃したA-10の内、2機撃墜、1機大破と散々な目に遭ったのだ。以降はイラク陸軍歩兵師団への掃討に戻った。 他にも様々な航空機が参加している。また、無人航空機による大編隊をイラクに侵入させ、それを防空網がキャッチして攻撃している間を狙って ハーム対電波源ミサイルを発射し、無人機に対してミサイルを誘導するレーダーの電波を狙って防空網を殲滅することも行われた。 ここからイラク軍野戦部隊の破壊を狙うことになるのだが、地上攻撃はなかなか進まなかった。当時の上層部にとって予想外の事態が起きたからだ。 諸国への爆撃 フセイン大統領は 「アラブ対その支持者(キリスト教などの異教徒)の構図を築こう」という異常な提案を出す。 1月18日からイスラエルへ向けてスカッドミサイル43基を発射する。ミサイルは着弾しイスラエル最大の都市テルアビブで大規模な死傷者を出す。 このスカッドミサイル(正確には発射台)を狩るために数多くの航空機が割り当てられ、中東にはパトリオット防空システムも緊急配備された。 イスラエルは開戦直前にモサッドなどからフセインが攻撃準備をしていることを知り、1月16日に全土へSOS警報を出していた。 42日間で18回39発のミサイル攻撃が直撃する。ミサイル空襲でパニックになり逃げ惑う人々たち。あっという間に町は焼野原となった。 大まかな内訳としては10回の攻撃で 約226名が負傷 2名がミサイルの直撃で即死 5名がミサイル警報によるショック死 7名が対化学攻撃用ガスマスクの取り扱いミスで死亡 という洒落にならない数値の犠牲者を出す。 この件によってイスラエルはイラクに対して更に不満や反発を抱くことになる。 フセイン自体はイラクの挑発によってイスラエルが参加し、 「多国籍軍VSイラク」である戦争を「キリスト教圏VSイスラム教圏」という異教徒間戦争に変えようという狙いがあったわけだが、 それを見越していたアメリカや国連によって阻止され計画は水の泡となった。 イスラエルの異教徒間戦争への誘致に失敗したイラクは次のプランへと移行する。 次の標的はサウジアラビアとバーレーン国でありイスラエルと同規模のミサイルを放ち、ここでも大勢の犠牲者を出す。 異教徒に加担した裏切り者を制裁することでアラブ世界の結束を図るために。 この思惑は思うように行かず他国が持っているイラクに対する不信感や反発心を余計に強めてしまったが。 ハフジの戦い 実は砂漠の剣作戦が発動される前にイラク軍はサウジアラビア領のハフジへ侵攻していた。 「制空権はとられているのに何故野戦部隊は移動できたのか?」という問いが生まれるだろうが、湾岸戦争に投入された偵察機は42機しかなかった。 先程のスカッド狩りの支援に投入されているだろうと考えると、スカスカな偵察を回避してイラク軍が大規模な移動を出来てもおかしくない。 この時のためにイラク軍は戦車603両、装甲車751両、野砲216門、兵員36500人(定員)を投入した。 なお、ハフジの戦いとは言うが、イラク軍は海兵隊の兵站基地キブリト、ミシャブ港まで侵攻を狙っていたと言われる。ミシャブ港はハフジから50kmしか離れていない。 戦果としてフセインは米軍捕虜を手に入れて、人間の盾に使う気だったとイラク軍情報部長は証言している。 なおこの際にキブリト付近の監視ポイントを警備していた海兵隊は戦車を持っておらず、LAV-25シリーズを装備していた。 LAV-ATから放たれるTOW対戦車ミサイルが非常に効果的だったが、初の夜間戦闘による同士討ちや、援護にきたA-10がマーベリックをLAV-25に打ち込むなど混乱も多かった。 この偵察隊は奮戦し戦線の突破を防いだが、ハフジは占領され紆余曲折(*3)の末にアラブ合同軍が奪還した。 砂漠の剣作戦(Operation Desert Sabre) 1991年2月24日 遂に空爆が停止命令を下される。この間に戦力を高めて、兵力78万人、作戦機2780機、艦艇180隻が集結し、WW2以降最大規模の軍となった多国籍軍は地上戦"砂漠の剣作戦"に突入。 前回の"砂漠の嵐作戦"とは名前が似ているが何の関連もなく、むしろそれに対するアンチテーゼであった。クウェートを包囲するかのようにイラク領に侵攻する。 砂漠の嵐作戦が地上部隊の撃破に満足した結果を残せなかったため、ここからは大規模戦闘がほぼ常時繰り広げられることになった。 なお、この砂漠の剣作戦で多国籍軍と対峙したのは共和国親衛隊である。 ここでは陸上兵器とヘリコプターについて紹介する。 M1A1 強靱な装甲と劣化ウラン弾という最強の火力と最強の盾を備えた最強の戦車。 上部装甲にAH-64のヘルファイアが命中しても撃破されない程固いし、T-72を一撃で葬れた。 ただし車体の背後を狙われたM1A1がT-72に撃破された事例があった。 装填装置は手動だが熟練の兵士なら数秒で装填を終えてしまえるので当時の自動装填装置では敵わないこともあった。 ガスタービン式エンジンなので燃費が酷く悪く、スピーディに進んだ地上戦でも燃料補給を強いられた。 ちなみに作戦に参加した戦車の名に「マッド・マックス」があり車長は「ハーバート・マクマスター」大尉だった。 後のトランプ政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官に指名される漢である。 M2/M3ブラッドレー 歩兵陣地の掃討作戦、偵察に大いに貢献した。ちなみに歩兵陣地の掃討作戦は塹壕までブラッドレーの小隊で進撃し、 援護された装甲ブルドーザーが塹壕を歩兵ごと埋めるというものである。後にその非人道性で非難された。 当然装甲は戦車に比べて薄いためどこの師団でもM1A1より撃破された車両が多かった。 AH-64 アパッチ 掃討作戦で有効性を示し、戦争中にイラク軍装甲車両を800両破壊した戦闘ヘリ。F-111のようにFLIRを利用して目標を補足している。 多国籍軍との戦闘により、イラク側は苦戦を強いられ、このまま抵抗しても多国籍軍から報復され国ごと消し飛ばされかねないため、 これ以上の戦いが無意味だと判断したのか地上戦開始から100時間後にイラク軍は大量の捕虜を出しながら撤退する。 どちらにせよイラクは四方八方を敵に囲まれ、最初から勝機など見えてなかったのだ。 イラク側の勝機が見えないような戦闘計画を練ったからでもあるが。 1991年2月27日 アメリカのブッシュ大統領が停戦を発表する。 フセイン大統領は事実上の敗戦を認め半年間に渡る過酷な戦いは終わりを告げた。 この戦争で使用された兵器はF-15E、トマホーク、劣化ウラン弾、ステルス爆撃機、クラスター爆弾、パトリオット・ミサイルなど多く存在し、 いずれもアメリカが開発した新兵器であり殺傷能力の高い兵器ばかりであった。 1968年に定めたNPT(核拡散防止条約)を余裕でガン無視しているレベルである。アメリカとは間違えても戦争をしてはいけない 1991年3月3日 暫定停戦協定が結ばれ、一見すると戦争が終結したかのように思えたのだが・・・ なおこの戦争によって多くの犠牲者を出し、被害も尋常ではなかったため怒り狂ったクウェート側はイラクに賠償金を求めた。 その額は301億5000万ドル(2兆6000億円)に及び1994年頃から支払いを始め、イラクとクウェートはこれを機に国交を断絶する。 停戦と新たなる野望 3月3日にイラクの代表が暫定休戦協定を受け入れ、イラクは敗戦を認めたと同時に停戦していたのだが イラク軍の主力の多くは温存されており、この温存兵器が、後の懸案事項となった。 終戦直後にやけを起こした南部シーア派と北部クルド人が反フセイン暴動を起こしていたが 当のフセイン大統領は 「どうせ他国は平和になったと勘違いしているだろうし、アメリカなどが介入する余地はないだろう」 と思っており、密かに温存していた軍事力でこれらを制圧し、首謀者ら多数を殺害する。 フセイン、あんたも懲りないねぇ・・・ 1991年4月3日 国連でクウェート侵攻の反省点から 「クウェートへの賠償」 「大量破壊兵器(生物化学兵器)の廃棄」 「国境の尊重」 「抑留者の帰還」 をスローガンとする安保理決議が定められる。 1991年4月6日 イラクが表面上だけながらも停戦を受諾し、正式に停戦合意をする。 翌年の4月11日に発効となる。しかしイラクは新たなる計画を立てていた・・・ 話は停戦から4年後の1995年に続く 1995年4月4日 停戦からちょうど4年の月日が経過していた。 安保理が石油交易を部分的に許可する決議をしたものの、イラク側は全面解除以外に受け入れられないと拒否。 数年前に停戦をしたのにもかかわらず、まだ戦争する気はあったようでありフセインは戦争を起こしてもおかしくない戦闘姿勢であった。 核開発防止のための国際原子力機関(IAEA)査察も拒否した事により、長期間にわたる経済制裁を受ける事となる。 だがイラクは数年前の「湾岸戦争」に対して遺恨が残っており、それは8年後のイラク戦争まで持ち越されることになる。 中東のあちこちでは弾圧や差別を受けてきた過激な一派が頭角を現すようになり、暴動を起こすようになったため平和とは程遠い情勢であった。宗教観での対立や紛争は更に激動化する。 なおアルカイーダと呼ばれる過激派グループが現れたのもこの時期であり後に全米を恐怖に陥れた9・11テロを引き起こす事になる。 ただしリーダーであるウサマ・ビンラディン氏はサウジアラビアの出身であり反イスラム勢力でありイラン・イラクとは敵対している。彼は後にサウジアラビアの国籍を剥奪され、本籍をアフガニスタンへ移す事になる。 元多国籍軍だったシリアも上記の反イスラム主義であるアルカイーダと利害が一致するため国連から脱退し、寝返って過激派グループに所属した。 停戦とは言いつつも中東の人々から完全に憎しみの心は消えることは無かった。 戦後 イラク フセイン大統領は厚かましくも懲りずに戦争をしようとする。クウェート側とは例の件で絶交したため次の標的はイランとアメリカになる。 イラン 隣国のイラクとの関係は更に悪化する。治安も以前より悪化し、アメリカに対してより反米的な姿勢になる。 クウェート 当初は援助をしていた日本を煙たがっていたが、後に考え方を改め直す。イラク側に高額な賠償金の支払いを命じ、イラクとは国交を絶った。 また前述の「ナイラ証言」がクウェート政府とアメリカの広告会社のでっち上げたニセ証言(当のナイラと言う少女は在米クウェート大使の娘で、新生児虐殺に関しては完全な嘘) ということが戦後の詳しい調査で発覚し、プロパガンダでアメリカ国民を戦争に引き込んだことで批難を浴びた。 パレスチナ解放機構(PLO) フセインを事実上支持してしまうという最悪手を打ったアラファトは、イラク敗戦で周辺諸国からハブられ苦境に陥る。 資金的にも政治的にも行き詰まったPLOは、それまでの対イスラエル闘争路線を修正せざるを得なくなった。 アメリカ 戦争には勝ったが、イランやイラクから余計に恨みを買ってしまう。中途半端にイラク軍の戦力を残してしまったために中東の混乱は収まらず 最終的には二度目のイラク戦争で今度こそフセインの息の根を止めたのだが、今度は戦後処理を誤り泥沼の内戦状態を生み出してしまう(*4)。 この問題を解決するまでに20年という月日を費やし、長きに渡る確執が続く。また日本と同様にバブル崩壊の煽りを受け景気は悪化する。ここから本格的な暗黒時代の始まりでもあるのだが日本と同様にバブルの余波が残っていたためアメリカ国民は残り火で浮かれていた。 日本 湾岸戦争の終わりとともにバブルが崩壊し暗黒時代へと突入し、湾岸戦争の影響で石油価格が高騰するなど暗い要素は多かったが、景気の問題はまだそこまで深刻ではなかった。 バブルの余波もあり世相も明るかった。停戦後にペルシャ湾へ海外自衛隊を派遣。慇懃無礼な態度をする多国籍軍に対して不満があった鶴見俊輔や鈴木正文らが反戦デモを結成した。 だが軍事面・外交面では戦後有数の転換点となった。クウェートが一年後に出した感謝広告に、日本の名前はなかったのである。 「カネを出すだけで汗を流さない国」という諸外国の認識と影響は、それが事実に基づくだけに、外務省や政府を中心に深刻なトラウマを植え付けた。 これが今に至る集団安保政策に舵を切るきっかけとなっており、今でも外務省の官僚は「アレは堪えた」とことある毎に語っている。 誤解なきように記すが、「カネを出すだけで汗を流さない国」というのは実際に命を懸けて戦った諸国からすると至極まっとうな批判である。 アメリカやヨーロッパ、アラブ諸国でも、人の命が何より尊いという認識に変わりはない。しかし各国では、それを認めたうえで、その尊い命を社会のため・人々のために差し出す行為はさらに尊いとされるのだ。 そうした「社会に対する使命感」を見せる多国籍軍の横で、カネを投げつけて傭兵のように扱うという態度をとった日本が非難を浴びたのは当然といえる。 日本の軍事に対する姿勢が世界の常識から大きく外れているということは、国際社会で孤立しないために、そして国際社会を理解するために、常に留意する必要があるだろう。 余談 『RPG伝説ヘポイ』にフセイン子(元スモウトリ)やキューピー鈴木なるパロディキャラが登場した事もある。当時は湾岸戦争が真っ最中だったので実にタイムリーなパロネタであった。 当時放送されていた『ふしぎの海のナディア』は湾岸戦争の影響で休止が多かったとされているが、実際戦争関係のニュースで休止となったのは1回のみである。 一方、テレビ東京のアニメ『楽しいムーミン一家』は放送時刻が開戦直後だったにも予定通り放送した。 ちなみに宍戸錠の愛犬の名前はサダム・フセイン子だったりする(現在は他界)。実に悪趣味なネーミングである。 爆撃された建物から外装が焼けただれたゲームボーイが見つかり、液晶を取り替えただけで再起動したという任天堂の凄さ・ゲームボーイの頑丈さを物語った逸話はあまりにも有名。湾岸戦争では米軍の兵士たちにゲームボーイが配られていた。 かの有名な漫才コンビ『夢路いとし・喜味こいし』の代表作とも言える演目の一つが、夫婦喧嘩をこれに見立てた『我が家の湾岸戦争』。 「お椀がガンッでワンガン戦争」という入りからお察しの通り、最初から最後まで湾岸戦争のキーワードにかけたダジャレまみれの笑い話なのだが、太平洋戦争経験者であるご両人だからこそ許されて深みの出るネタでもある。 また『新機動戦記ガンダムW』にも影響を与えており、劇中に出てくるモビルドールは湾岸戦争で映しだされていた爆撃シーンの中継などを前述のモニター越しで見ていた視聴者に対する皮肉が込められており戦争の重たさを伝えている。 この湾岸戦争においてはベトナム戦争における陸軍と空軍のB-52に対する見解が大きく衝突した。総司令官のシュワルツコフは歩兵畑だったこともありB-52を無敵の存在と思っていた。 逆に空軍部隊司令官のホーナーはラインバッカーⅡ作戦で地対空ミサイル220発によってB-52が6機撃墜されたことを念頭に置いており、的になるだけだと考えていた。 なお、この地対空ミサイルはSA-2と呼ばれ、このようなレーダー誘導式地対空ミサイルの発射機をイラクは400基以上配備していた。 多国籍軍の機甲部隊は数千両、支援車両も含めば万に達した。この移動で最も苦労させたのは戦車である。米軍は1万両規模の戦車を 持っているにもかかわらず、戦車を運ぶ専用トレーラーはかき集めても750両しかなかったからだ。逆にイラク軍は3000両保有していた。 質の面でもイラクのトレーラーの主力はT-72を完全武装、しかも乗員も休めるものだが、アメリカのそれはM1戦車の装備品を外さないと重量オーバーになる代物だった。 インフラの乏しい砂漠戦で戦車を縦横無尽に動かすにはトレーラーは欠かせないのだが、アメリカは冷戦期ではヨーロッパで戦闘することを想定したので トレーラーの数が少なかったのだ。中東ではイスラエルも全戦車を運べるだけのトレーラーを持っている。だからこそ第3次中東戦争で戦車戦で圧勝できた。 アメリカ軍が保有していた戦車にM1戦車があるが、この戦車は大きな欠陥を持っていた。 105mmライフル砲という貧弱な火力と、乗員が防護服を着て操縦することを強制する個人NBC防護装置という意味不明なNBC対策の2つだった。 後のM1A1戦車はそれらを改善したがM1は数年間量産され続けたため、大量のM1が残ってしまった。結局戦争に間に合わせるために このM1戦車の改良のためサウジアラビアのダンマン港に改修工場を建設し、M1からM1A1への転換訓練を行うためのチームもサウジに派遣した。 多くの部隊は戦争前にM1A1に乗り換えられたが、第1歩兵師団など一部の部隊はM1のままだった。 空爆を耐えるイラク軍に対しアメリカは核攻撃のプランも検討したが、その内容は 「1個戦車師団に重大な損害を与えるために戦術核を40発炸裂させる」というものだった。 なお共和国親衛隊は戦車師団だけで3個持っている。 ちなみに現状戦艦(ミズーリ・ウィスコンシン)が参加した最後の戦争である。この後2艦とも退役しており イギリス軍のロイヤル・ソヴリン級(諸説あり)から始まった戦艦は(除籍年で言えば)第二次世界大戦中に建造されたアメリカ軍のアイオワ級によって終わった。 関連映画 ガルフ・ウォー クライシス・オブ・アメリカ ジャーヘッド スリー・キングス 戦火の勇気 ライブ・フロム・バグダッド 湾岸戦争最前線 追記・修正は油にまみれた水鳥を見てからお願いします。 branchイラン・イラク戦争 nextイラク戦争 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 記念すべき史上初の生中継戦争 -- 名無しさん (2015-03-31 14 31 53) 長くない?アニオタwikiっぽくない -- 名無しさん (2015-03-31 17 09 41) ↑旧wikiの頃から中東の戦争関連はこんなんだし、いいんじゃない? -- 名無しさん (2015-03-31 18 51 29) ナディア最終回は放送の3日前まで作業してたらしいので -- 名無しさん (2015-03-31 20 39 40) ↑きちんと完結まで持ちこたえたのはここまで放送が伸びに伸びまくった、つまりフセインのお陰とも言われてい…る? -- 名無しさん (2015-03-31 20 40 56) クウェートが、もっとイラクに気を使って、石油を大増産したりしなければこんなことにならなかった可能性が……? -- 名無しさん (2015-03-31 20 42 53) アメリカが中東の泥沼に直接踏み込んだ最初の一歩となった戦い -- 名無しさん (2015-03-31 22 45 04) 中東戦争の大国が汚いんじゃなくて、石油成金が汚い戦争か…そしてやっぱり貧乏くじを引くエジプト… -- 名無しさん (2015-04-01 01 28 39) なんか妙に反米バイアスのかかった記事だな -- 名無しさん (2015-04-11 13 20 04) アニヲタ的には「ガンダムWの設定に影響を与えた」という点に触れるべきなんじゃないだろうか。 -- 名無しさん (2015-04-12 22 48 43) かつてアーケードにてジャレコから「湾岸戦争」なるSTGが発表されてたな。ヘリを操ってフィールド上に残された捕虜を救出しつつ、ボス機を追撃するという内容 -- 名無しさん (2015-05-05 21 46 02) ニンテンドー戦争とか命名者は絶対GKだろ(ゲハ脳) -- 名無しさん (2015-07-21 01 22 16) フセインをただの悪人だと思ってた。少なくとも会戦理由というか切れた理由には同情の余地があったんだな -- 名無しさん (2016-10-21 12 17 46) 記事内の「当時の子供たちはゲームや漫画の娯楽に夢中で~」は要らなくないか?なんか、「辛い思いを経験しろ」や「とっとと国の為に滅私奉公しろ」と「あれをしろ、これはするな。」と言われてる感じで好きになれん -- 名無しさん (2017-04-02 08 17 06) 主に戦闘部分を編集しました。 -- 名無しさん (2017-04-02 21 01 35) 中東戦争の記事と比べるとなんかわかりにくい記事だな -- 名無しさん (2017-11-30 00 43 37) 荒らしコメントを削除しました -- 名無しさん (2019-01-11 19 56 04) なぜだろう。記事を読んでいくうちに、『クウェート滅ぶべし』な気になってきたぞ。クウェートにもそうしなければならない理由があったんだろうけど。 -- 名無しさん (2020-10-07 14 08 28) さらっと流されてるけどアメリカの駐イラク特命全権大使が失踪してるの怖すぎだろ… -- 名無しさん (2022-11-27 19 00 29) ↑ 俺も気になって調べたけど、別に消されたとかじゃないみたいよ。1991年には上院外交委員会で証言してるし、2008年にもインタビューに答えている。「消息を絶つ」って記述はおかしいな。 -- 名無しさん (2022-12-19 23 10 49) 名前 コメント
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DM5000GTと言うチームをよろしく どんどん入ってきてくださいリーダーはCOSMOですそのほかに 別のカードでルカリオ☆「z33」もありますそこのチームは最低B級以上
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東京都第24区・湾岸区 解説 湾岸区 妙神岩を取り囲むように東京湾を埋め立て、退魔庁本部を設立させた東京都第24区のこと。 淫魔事件の多くが妙神岩を有する同区で発生しており、退魔師の多くが居住する街である。 ストーンサークル群から外側に向かうにつれて開発されていったため、地理的な中心地は現在は再開発地区となっており、人がほとんど介在しない土地となっている。 開発が進むにつれ、現在は、旧開発地区の南部に結界障壁を隔てた新開発都市部が続いている。 地下には地下鉄が南北に走っており、湾岸区における貴重な移動手段となっている。 湾岸区全体で東京都第24区を形成しているが、新旧市街地区によって旧を24区、新を25区と呼ぶ隠語も退魔師業界だけでなく、行政でも使われていたりする。 湾岸区防護壁 旧開発地区の外周をぐるりと覆うように囲った防護壁。当初はドーム計画もあったが、内部で活動する退魔師の妨げになるために中止となった。 新開発地区に拠点が移される際に同時建造された、退魔結界を施した巨大建造物である。 問題はこの防護壁を以っても、壁内部から外部に対する妙神岩の影響を遮断できないほど、妙神岩の影響力が強いということである。 あくまでも新開発地区およびその周辺海域を護る程度の力しかなく、広がり続ける妙神岩の力には抗えないものとなっている。 ※地図画像はそのうち差し替えます。 旧退魔庁舎 旧開発地区の中心地にある、退魔庁の旧庁舎。 地上15階、地下2階建ての庁舎で、一部の退魔庁職員(退魔師)が、今なお在中している(とはいえど、住んでいるわけではない)。 旧退魔庁舎を除いては、公式には旧開発地区には人は在住していない。 地下には第一検問所と直結の地下鉄の無人駅が存在している。 旧庁舎とはいえ、現在も退魔師の活動の拠点であるため強力な結界を張られており、旧開発地区における安全地帯である。 旧退魔庁舎のライフラインは、地下を走る旧開発地区路線の強固なトンネルラインで確保されている。 湾岸公園跡 旧開発地区における公園。 妙神岩付近ではあるが、結界塔の近くということもあって、旧庁舎が本庁として稼働していた際は治安がよく(淫魔事件の発生率がほとんどない)、湾岸区在住者の憩いの場であった。 現在は結界が張られている場所が限定されているため、見る影はない。 また、人工池があるが、現在は水棲淫魔が巣食っている。 検問所 新開発地区と旧開発地区の行き来ができる場所。 結界壁を隔てて三ヶ所に設置されており、旧開発地区への退魔師の移動、新開発地区への淫魔の侵入を防ぐ役割をしているポイントである。 検問官も退魔師のライセンスは持っているが、それほど腕が立つわけではない。 結界塔・結界壁 妙神岩 天震災によって出現した、淫魔たちの発生理由・異世界移動ゲートと思われるストーンサークル群。 中心の岩は高さ100mサイズの巨岩であり、内部に迷路状の空洞が張り巡らされていることまでは確認されている。 最上部に入り口の様な穴があるが、これは御神楽 琴歌の砲撃によって作られた穴で、事実上妙神岩の入り口となっている。 中心部または最深部に“何か”があるのは推測されているが、あくまでも推測の段階で、それ以上は不明。 退魔庁は内部調査を計画しているが、人員確保の面などから数度上層部を行った程度である。 新退魔庁舎 湾岸区増設に辺り、区北部(旧開発地区)から区南部(新開発地区)へと移され、退魔師の公的機関としての中枢をさらに強化した施設。地上15階、地下3階の建物であり、地下は湾岸地下線の駅が直結で存在する。また、本庁舎周辺には湾岸区庁舎等の行政庁舎も存在する。 新庁舎の完成に伴い、旧開発地区への立ち入りが規制され、湾岸地下線も一部を除いて全て閉鎖された。 旧開発地区自体は、全住民が退去した後、再度開発予定であったが、人の退去によって予想以上に淫魔が活発化したため、事実上ゴーストタウン化した。 これは、退魔庁上部の誤算であったが、数多く増えた退魔師の仕事場の提供に繋がっており、人類には皮肉な結果となっている。 旧湾岸大橋跡 妙神岩の出現によって、必要に迫られた湾岸区建造のために架けられた海上道路。 新開発地区の形成に伴い閉鎖の後、淫魔の陸上移動ルートにされるのを防ぐために爆破解体され、現在は橋桁が数か所に残るのみである。 新湾岸大橋 新都市部開拓のために建造された、巨大な海上道路。 海上道路を経て大田区、港区に繋がっている。 湾岸区唯一の陸路の出入り口であり、広範囲で結界が張られている。 湾岸地下線 人工島である湾岸区の地下を南北に走る路線。 旧開発地区も含めて、湾岸区全体に張り巡らされている路線である。 構造は4点レール(列車に対して斜めの位置)で固定され、脱線等が発生しない設計。 トンネル自体に強固な対淫魔結界が張り巡らされており、それを利用して湾岸区のライフラインの主線もこのトンネルを利用して広げられている。 もっとも、トンネルをぶち抜いてくるような淫魔も居ないわけではないが、数はごくごく少数なので、退魔庁エージェントによって処理されている。 新開発地区路線も後述の旧開発地区路線同様、無人運転で行われているが、旧開発地区路線への直結運転は存在しない。 旧開発地区へ移動する場合は、第一検問所駅内のルートを通って、新開発地区路線と旧開発地区路線の行き来が可能となっている。 旧開発地区路線 湾岸地下線の旧開発地区部分の路線。 現在は半分以上が閉鎖されているが、第一検問所から旧退魔庁地下までは無人列車が定期的に走っている。 この無人列車を活用することで、多くの退魔師が旧退魔庁舎まで移動し、そこから活動をするために旅立っていく。 旧開発地区路線の駅は上記を除いた路線では閉鎖されているが、稼働していた頃の名残で、淫魔の侵入は少ないため(されないわけではない)、逃げ道として利用する退魔師も少なからずいる。 もちろん、旧開発地区路線の駅は全ての駅が無人であり、稼働ライン以外は電気以外のライフラインも止まっている。 湾岸区新空港 湾岸区に敷設された小規模な空港。 大型のジェットなどは離着陸できず、主にヘリポートとして活用されている。 退魔庁関係の物資の輸送や、退魔師の移動等に使われることがほとんどである。 真山総合病院 第24区湾岸区真山町にある国営の総合病院。 退魔庁直轄下のため、退魔師の淫魔との荒事に関する治療や研究等が盛んに行われている医療機関である。 緊急用の隔離病棟もあり、他に専門的な治療を行える病院は大都市圏を抱える都道府県以外は1つずつある程度でしかない。
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湾岸ミッドナイト メーカー 元気 発売日 2007/7/26 対応機種 PS3 週刊ヤングマガジン連載の「湾岸ミッドナイト」を題材にしたレースゲーム 湾岸ミッドナイト ポータブル 2007/9/27 PSP 上記と同様のレースゲーム どちらもレヴューは酷評が目立った わ行 数字 記号 キャラゲー プレイステーションポータプル な行~ プレイステーション3 PR 湾岸ミッドナイト - PS3
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此処では、管理人の好きなゲームを紹介します。 おもしろい。湾岸おもしろすぎるww 皆もやってみてねー。 コメントよろしく^^; せっかく湾岸やってるんだから、MHRの動画とか見ないの? -- 仙人 (2011-02-16 17 10 32) これ見てたらちょっとだけやりたくなった(´゚д゚`) -- 巧海 (2011-02-17 03 01 23) MHRって何w<仙人 おうおう、一緒にやろうか^^<たくみ -- 管理人 (2011-02-17 05 41 03) イニシャルDのほうが面白いですよ -- 仙人 (2011-02-18 22 39 09) イニシャルDはハンドリングすごい効いてるね。あっちは難しい -- 管理人 (2011-02-19 04 52 07) おいおい、うp主のプレイングうめえんじゃないのかなあ -- 淫奔道 (2011-02-27 18 07 55) おいおい?いい加減にばさしさんのTAとか見ればいいんじゃねーの・・・? -- 仙人 (2011-02-27 18 16 30) うっめーなあ。馬刺し?馬食うとかぶっちゃけ、考えれない -- 管理人 (2011-03-03 04 58 03) 「ラブ&ピース!」 -- いい (2011-03-23 07 07 39) テリヤキがオススメ!! -- いい (2011-03-23 07 08 50) 湾岸ですか。俺もやってますw 最近やってないけどw -- ピン雲 (2011-08-14 14 17 56) 名前 コメント
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【TOP】【←prev】【SEGA SATURN】【next→】 湾岸トライアル LOVE タイトル 湾岸トライアル LOVE 機種 セガサターン 型番 T-9110G ジャンル レース 発売元 パック・イン・ソフト 発売日 1998-4-2 価格 6800円(税別) 湾岸デッドヒート 関連 SS 湾岸デッドヒート 湾岸デッドヒート+ リアルアレンジ 湾岸トライアル LOVE PS 湾岸 トライアル 駿河屋で購入 セガサターン
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本項ではアーケードゲーム『湾岸ミッドナイト』『湾岸ミッドナイトR』を併せて紹介します。 記事名は公式略称の『無印湾岸R』にあわせてver.UP版の方で記載しています。 湾岸ミッドナイトR 【わんがんみっどないと あーる】 ジャンル レース 対応機種 アーケード 使用基板 SYSTEM 246 発売元 ナムコ 開発元 元気 稼動開始日 無印 2001年 R 2002年 プレイ人数 1~2人 判定 全作 スルメゲー ゲームバランスが不安定 ポイント 『湾岸マキシ』の前身古代祐三氏による一線を画したBGM唯一無二のライフゲージバトルシステム原作の雰囲気を尊重したCPU挙動 湾岸ミッドナイトシリーズ 概要 ストーリー ゲーム説明 評価点 問題点 総評 参考動画 余談 概要 湾岸ミッドナイトを題材とした初のゲームで『湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE(以下湾岸マキシ)』の前身である。 ゲームシステム周りは、開発元の元気が発売した『首都高バトル0』をベースとしており、グラフィックや挙動面においても共通点が複数見受けられる。中にはクラシック音楽を主体としたBGMをはじめ斬新な要素もあり、エポックメイキングな一面も。 2002年にはver.UP版の『R』が登場している。内容は使用可能車種増加と細部の更新程度であり、ゲーム内容は基本無印と変わらない。 ストーリー 20XX年 東京5年前の遷都により、首都高速道路は経済活動の動脈としての役割を終えたそして今。閉鎖された特設サーキットとして生まれ変わり今夜も挑戦者を待っている 以上は、ゲーム開始前に必ず表示される 大人の事情 のテロップである。 『湾岸マキシシリーズ』でも基板起動時のテロップとして秘密裏に受け継がれている。ただし『3』以降は「遷都」が「バイパス道路の開通」と一部設定が変わっている。 ゲーム説明 筐体は『リッジレーサーV アーケードバトル』の流用であり、シフトレバーは右に付いているタイプとなっている。ハマり防止のためか、この手のゲームでは珍しくバックギアにも入れられる。 筐体の装備は、ハンドル、アクセルとブレーキペダル、上下式のシフトレバー、視点切替ボタンがあり、ツイン筐体のみ。また、仕切りが装備されている筐体もある。 モードはシナリオモードと乱入対戦モードとタイムアタックモードの3つ。 基本のゲーム進行は、ライバルを探し、勝ったら次のステージに無料で進め、最終的には最終ラウンドまで進めると言った感じ。実力があれば1クレクリアも可能。 負けた場合はコンティニューで同じステージからプレイヤーは全快状態でスタートとなる。因みにライバルカーは、負けた時点でのライフゲージに応じた分のみ回復する。(上限・下限あり) ブレーキを踏みながらスタート位置を決定すれば、タイムアタックモードになる。 タイムアタックの場合は他ゲーと変わらず、乱入対戦は格ゲーらしく、2本先取り勝負がデフォルトで設定されており、勝てばストーリーの続きがプレイ出来る。負ければその時点で強制ゲームオーバーとなる。 Rでは5分1本勝負と時間無制限1本勝負が追加された。何れもテストスイッチで変更するのでプレイヤーからは選択不可能。 収録コースは首都高の都心環状線(C1)、新環状、横羽線、湾岸線で、一通りのランプも収録されている。CPU戦では基本的に湾岸線が使われる事が多い。 評価点 独自の面白さ 首都高を舞台としてはいるものの、現実の首都高の形状の忠実な再現はさほど重視されてはなく、大幅にゲーム向けに調整された地形となっている。超ロングストレートをメインに、時折ゆるやかなカーブというコース設計になっているので、細かい最小限のハンドルさばきでアザーカーを避けながら猛スピードで駆け抜けていく迫力と爽快感は、ドリフトを駆使してカーブでの攻防をメインとしている後継作の『湾岸マキシシリーズ』とはまた違う味わいがある。 エポックメイキングなBGM 前身と言える今作もBGMは古代祐三が担当している。中にはレースゲームの常識を覆したオーケストラ調の曲もあり、どれも良曲揃い。レベル2までのライバルはランダムで2曲のうちのどちらかが選出されるが、レベル3以上のライバルにはそれぞれに固有のテーマ曲が用意されている。 なお、作曲にあたって氏は『原作をかなり読み込んだ上でインスピレーションを得た』とサウンドトラックで語っている。本作の曲を聴きながら原作を読んでみると言うのも乙な物かもしれない。 実は当時、古代氏は作曲活動で5年ほどスランプを抱えており、LinuxOSを搭載したサーバーの管理を中心とした活動に転向する形で作曲業を辞めるつもりでいたのだが、本シリーズのプロデューサーである小林景氏は彼が高校時代の同級生であることを知り、熱意のある説得で楽曲制作をオファーし、それが実現したことを述懐している。こうした縁もあって、後の『湾岸マキシシリーズ』の楽曲制作も引き続き担当していくことになった。 ツボをついた収録車種 収録車種も若者に人気な12車種を収録。MTの方が若干中間速度域の加速が良くなる。 条件を満たす事により悪魔のZが使用可能になり、Rではちょっとした手順を踏めば他のライバルカーを含めた16車種が使用可能になる(中には更に条件を満たさないと使えないのもある)。 但しRの場合、ライバルカーが選択出来る状態の時は前述の12車種は選択出来ないので注意(逆も同様)。 無印での悪魔のZは全ての性能が最高クラスではあるものの、一定時間経過するとハンドルが勝手にブレる現象が発生する。これは「突如操縦不能になる」と言った原作の設定を再現したものである。 独特のゲームシステム アーケードでは唯一無二と言えるライフゲージバトルシステム(首都高バトルで言うSP)を採用。簡単に言えば、レースゲームと格闘ゲームの融合といったところ。 壁やアザーカーにぶつかるか、相手と一定以上の距離を離されるとゲージが減る。そのため本作はいかに些細な事故も起こさないかが重要であり、ラフな運転は許されない緊張感がある。 「事故を起こさない事はもちろん、首都高に明確なゴールは無く、心が折れた側が負け」という意味なのだろう。原作漫画での勝負の決着方法をこのようなゲームシステムとして表現したのは説得力がある。 制限時間以内にゲージが空になった方が負けになるが、ゲームである都合上、時間切れだとゲージの量に関係無く前を走っている方の勝ち。最後の最後で逆転勝ち逆転負けがあり得るので、気を抜く事は出来ない。 残り10秒になった時のメッセージは形を変えて『湾岸マキシ』と『マキシマムヒート』にも引き継がれている。 CPUはそれに比例して手強く、難易度1~2のライバルに関してはそれなりにバランスが取れている。 原作再現要素 ライバルごとに行動パターンが違う個性の良さ。特にR200CLUBのメンバーは原作通りに悪質な走行妨害を行ってくる。これがゲームシステム(SP)とかみ合っており、非常に手ごわい初心者殺しの相手となっている。 スタートは最初に選んだランプの料金所から出発してライバルを探す流れになっている。ライバルは必ずいるので演出にすぎず、ライバル探しでわざと時間切れにしてみたり、逆走してもここでゲームオーバーになる事は無い。 因みに逆走して遭遇すると、どのレベルでもレベル3以上のライバルが登場する。 ステージ1のみ最初に選んだライバル、ステージ2、3はレベル1、2のライバル、ステージ5~7はレベル3以上(稀にレベル2)のライバルがランダムで出現する。ステージ4はR200CLUB、8は秋川レイナ( 朝倉アキオ)と固定。 ステージ5以降はライバルを探す時の音楽も変わり、難易度が跳ね上がる。 ライセンス問題の都合で登場できない島達也以外の主要登場人物を一通り揃えている。 問題点 高難易度且つ不条理なゲームバランス まず本作のゲーム内容の一番の問題点は、とくにCPU戦ではマトモな走りで勝つ事は不可能に近い。「一度CPU車より前に出る事が出来たら、とにかく自分の車に追突させるようにひたすらブロック(かぶせ)して進路妨害をしまくるゲーム」と言って良く、走り屋らしい正々堂々とした競争を楽しめる内容とは言い難い。 4面では必ず「R200CLUB」というチームの3人が相手となり、その中の園田というキャラが「かぶせていくぞォ」のセリフと共に、えげつない進路妨害をしてくる卑怯な走りで初心者にはお帰り頂くのだが、園田以上に悪辣非道な事をしなければこのゲームの世界では生き残れない。 後述の、CPU相手に体当たりを続けてゲージをムリヤリ削るという裏技的な戦法無しでは全面クリアも非常に難しい。このゲームの首都高には走り屋のプライドもマナーもルールも何も無いのである。それはまた対戦でも同じであり、仲間内のおふざけならともかく見知らぬ対戦者同士での走行妨害ありきのプレイは技量や腕前とかの問題ではなく、怒りでしかない。 『湾岸マキシ』では、もはや格ゲーじみたゲームバランスにより対戦環境が世紀末化し、時折プレイヤー間での抗争や事件にまで発展していることが現在でも問題視されているが、本作の時点で既にその片鱗が垣間見えていたと言えるだろう。 ただし本作の特徴である「些細な事故でもSPゲージが減る」という独自要素から、対戦においては無事故に気を配った正々堂々としたプレイを双方がすれば、まさに現実の走り屋さながらの緊張感と爽快感を得られ、そして勝っても負けてもお互いの健闘を称えあう事が出来る。これは続編の「基本的にいくら事故ってもOK」というマキシシリーズには無いものであり、そういう意味では最も原作と現実に近いのが本作である。 癖のある挙動 挙動は『首都高バトル』程では無いにしろ応答性が良くなく、スムーズに動かない等やや固め。速い速度でコーナーを抜ける事は可能とは言え、少なくとも『湾岸マキシ』よりは難しい。 もっとも、スムーズに曲がらない所を克服すれば、ちゃんと走らせる事が出来る程度の難しさなので、慣れの問題も半ば含まれるだろう。但し大きくぶつかったら派手にぶっ飛ぶ所には注意。 ライバルに対するガリ耐性が『湾岸マキシ』と比べても非常に強く、余程慣れていないと進路をずらす事は非常に難しい。 因みにライバルは点滅時にはガリだけではゲージが減らない仕様から、自爆させるか引き離さない限りゲージを空にする事は不可能である。 ガリをしつつ壁に押さえ付ける(ペナガリ)ならば壁接触でゲージを減らす事が出来るが、かなり難しいだろう。 レベル3以上のライバル戦で自分が一定以上前に出た瞬間、相手に補正が掛かり、いきなり不自然に急加速して来る。 但しライバルによるが、カーブでは必要以上に減速する傾向。その為、慣れている場合はC1等カーブの多いコースに行った方が差を開け易い。 当時有効であった戦術としては開幕敵が必ず加速で引き離す→若干こちらのSPを削られるがやがて追いつく→追い越しざまに多少の安全マージンは残しつつ、自分のSPが0になるギリギリまで体当たりでゴリゴリ削る→そのまま追い越し一気に引き離し、後半直線だけで無理な場合は次の急なコーナー明けも活用→相手が追いつく前にSP切れを狙うというものがあった。やり方次第では瞬殺も可能。もはや何のゲームなのか…。 ライセンス都合の問題 主要人物は一通り揃ってはいるものの、主要人物の島達也が登場車種ごと登場しない。車の版権の都合と思われる。その為AC版においてブラックバードのテーマが流れる局面は、自車が悪魔のZを使用した状態でのステージ8後半の曲で使用されている(それ以外はアキオのテーマ)。 本作の事実上の移植作であるPS2版では搭乗車種ごと悲願の出演を果たしているが、彼が搭乗するブラックバードのベース車種となっている車は、やはりポルシェのチューンドカーメーカーであるRUF社製の「RUF 964RCT」となっている。 ついでに原作では最初のライバルであるイシダヨシアキもフェラーリの版権が取れないので登場しない。しかしPS2版のメモリーカードのデータを見ると…? 収録車種の不備 ライバルカー仕様しかなく、ノーマル仕様では使えない車種が存在する。例として「悪魔のZの日産・フェアレディZ(S30)」「原田の日産・フェアレディZ(Z31)」「ガッちゃんのトヨタ・セルシオ」等。更には無印版だと、悪魔のZ以外のライバルカーはプレイヤーが使用することができなかった。 短すぎるネームエントリー入力時間 ネームエントリーの制限時間が、他に例が無いと思われる9秒と短過ぎる。 当時としても現在としても勿論の事、これより昔のゲームですら平均は25秒前後はあるのだから幾らなんでもこの設定は無いだろう。 但し、文字の選択自体はアルファベットと数字での3文字のみなので、ステアリングとシフトレバーで素早く出来るが、それでも慣れは必要になる。 その他 乱入切替に相当するボタンが無いせいか、乱入設定はゲーム開始前のライバル選択の時のみで、プレイ中に切替が出来ない。その影響のせいか、タイムアタックモードでは乱入不可。 同時期の競合他社のポリゴンレースゲームと並ぶと粗いことは否めないグラフィック。 使用基板に当時の据え置き機最高峰のグラフィックを誇るPS2の互換基板SYSTEM246を使用しているのだが、本作は同社がPS2用に開発した『首都高バトル0』をベースに制作されており、しかもベース元の作品が家庭用機のドリームキャスト版をベースに開発された為に、同時期のSYSTEM246基板使用タイトルに比べてDC互換の業務用機「NAOMI」基板に近いポリゴン描画数の少なさによる3Dグラフィックの粗が目立つ。 総評 湾岸ミッドナイトの世界観を可能な限り引き出しつつ、ゲーム性を上げている一作。 ゲームバランス的には大変厳しい部分もあるが、首都高系統のレースゲームの中でも比較的良い部類になるだろう。 使用基板の耐用年数の短さ故に現在では稼働店舗も減少しているので、単純に遊ぶなら事実上の移植版にあたる後述のPS2版が手っ取り早い。 もし偶然残存筐体を見かけたら手遅れになる前に、原点を振り返る意味でも是非一度は触れてみるのも良いだろう。 参考動画 + PS2版 余談 ゲームの開発&稼働時は、雑誌連載時では城島とFC型RX-7編の中盤あたりなので、本作の城島のFCは完成仕様ではない。もちろんその後の話のライバル達はまだ存在すらしていないので本作には登場しない。 ライバルのナンバープレートを入力して攻略のヒントを知る事が出来るサービスもあった。現在は終了している。 サウンドトラック サウンドトラックはあるが、どう言う訳か「ブラックバードのテーマ」のみ収録されていない(*1)。 しかもサントラCDは各キャラの専用曲がゲーム版とは微妙に異なるものがある。古代氏としてはサントラ版のほうが完成形のつもりで作り直したのかもしれないが、ゲーム版と全く同じ曲もあり、音源の問題でもなさそうなのでそこらへんは謎である。ちなみに没になったデモサウンドがオマケで収録されている。PS2版のストーリーモードやオープニングムービーなどの、その他の曲は収録されていない。 音源の問題なのかは不明だが、アーケード版とPS2版とでも音楽が微妙に違う。しかしサントラ盤での違いに比べれば些細なレベルで、かなりアーケード版に寄せているため、よほど聴き慣れていなければわからないだろう。 また、『湾岸マキシ』の10周年を記念としたサントラでもこのゲームの曲は収録されていない。あくまで「湾岸マキシのサントラ」だからなのだろうか。 本作のBGMは2022年の時点での『湾岸マキシ6RR』でも聴く事ができる。曲を手に入れるには、その車でストーリーモード100話を6週しなければならない。1プレイ100円として無敗でも6万円かかる。 移植について 本作の事実上の移植としてPS2版が存在する。(タイトルもそのまま) 移植度は良く、アーケードでは登場しなかったキャラ、ストーリーモード等の追加要素も。 但し『R』での追加要素である「ライバルカーのプレイヤブル化」に関しては、各種条件を満たしていくことで順次開放されていく上、また使用可能なライバルカーのラインナップも増加したものの全てのゲームモード共通で使用できる車種が主役格の悪魔のZとブラックバードのみとなっており、それ以外の車種(秋川レイナ仕様R32改や黒木仕様R33改など)についてはタイムアタックモードとLINK対戦モード限定で使用可能となっている。 後にPSPにも移植とは明記されない形で部分移植されているが…。 最終ステージであるステージ8は制限時間が「--」と無限のように見えるが、実際は制限時間が100秒を超えている状態でスタートしているだけで、暫く経つと制限時間の数字が表示され、カウントされる。 制限時間無限についてPS2版では残り時間が表示されないようになっている。 料金所と橋脚にあるスペシャルフラッグマークを拾うとライフゲージが回復する。因みにPS2版では元気ロゴに変わっている。 因みにこれはライバルが拾っても同様であるので、拾われないように注意する事。 PS2版は本作のために作られたアニメとCGのショートデモムービーがある。アニメ版よりもキャラデザインの出来が良く、原作漫画の絵のタッチをよく再現できている。 PS2版には開発元の元気の、やや大きい四角く黄色いステッカーが付属してくる。元気のロゴは子供がマジックペンで描いた落書きみたいな「顔」の絵なので、身も蓋もない言い方だが使いどころに困るシロモノ。車はもちろん物に貼った人は少ないのではないだろうか。そのため中古でも付属している事がけっこう多い。(乗り物用の外装ステッカーとしての耐候性は不明) 講談社からのPS2版の公式攻略本がある。権利元の講談社なだけあって原作漫画のコマとカラーイラストがたくさん使われている。内容はほとんどがミッションモードとシナリオモードの大雑把な攻略法がメインで、あとは登場キャラと愛車の紹介、湾岸ミッドナイト用語集や改造車のカスタム用語解説などで、攻略本と言うよりファンブックに近い。 肝心の掲載されている攻略内容だが、「最初にマスターしておこう!!ゲームルール&勝つためのテクニック」には、「追い抜いたらブロックしよう」 「横に並ばれたら壁に押し付けてSPを削れ」 「インを取られそうになったら減速してでもブロック」 「ライバルがアウトに膨らんだらぶつかりにいけ」と、堂々と書いてある。他にも「アザーカーを利用してライバルを自滅させよう」的な、とにかく悪質な走行を推奨する内容がほとんどで、上記の問題点でも指摘されているようにCPU戦のゲームバランスの悪さは公式攻略本も認めているも同然である。全体的な内容的にも、お世辞にも攻略本とは言い難いが、攻略本を作った人達もさぞ苦労したことだろう。 上記の参考動画は本作の小ネタと問題点がよくわかる。決してズルいプレイ内容ではなく、あれが本作の攻略の正解であり上手いのだ。 尚、中古相場に関しては大幅な値上がりこそ確認されてはいないものの、Amazon等の一部通販サイトでは中古での取引が終了している為、現在では(別の意味で)入手困難になりつつある。もし、お近くの古本屋や通販サイト等で偶然在庫を見かけた際には是非手に取ってみてはいかがだろうか。 ポルシェとフェラーリが登場できなかった理由 ポルシェとフェラーリの版権契約は昔から世界規模で非常にややこしく、お金を積めば何とかなるというものではないとの事である。ポルシェの名称と車種の使用許可が下りたのは、ようやく『湾岸マキシ6』から。それまではゲンバラ(『1〜3DX+』)とRUF(『4〜5DX+』)という、ポルシェをカスタムして販売するメーカーの会社名と車で代用していた。 フェラーリは未だに許可を取れないので、湾岸マキシシリーズではイシダヨシアキは登場するもののテスタロッサではなくスポーツカーの外車になっている。あとはフェラーリの許可が得られれば原作の通りになれるのだが、残念ながら現在でも完全な原作再現には至ってない。 豆知識だがホンダもゲームへの使用許可は基本的に大変厳しい姿勢であり、使用許可を得るためには制約が多く、『湾岸マキシシリーズ』でもホンダ車の登場は『5DX+』から。2012年に登場した『超速変形ジャイロゼッター』という低年齢層向けのトレーディングカードアーケードゲームにも参加しなかったほどである(*2)。
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湾岸ミッドナイト 871 名前:水先案名無い人 :2008/02/05(火) 14 31 17 ID Ts6OKZGT0 光成「首都高の伝説を見たいか――――ッ」 雰囲気組「オ―――――――――!!!!」 光成「ワシもじゃ ワシもじゃみんな!!」 光成「全登場人物入場!!!」 アナウンサー「全湾岸ミッドナイト登場人物入場!!!!」 湾岸の帝王は生きていた!! 大改造を施しフルカーボン化で甦った!!! ブラックバード!! 島達也だァ――――!!! VG型Egはすでにオレが完成している!! チームEXCITING 原田だァ――――!!! 追いつかれしだいかぶせまくってやる!! R200CLUB 園田順だァッ!!! 修理代の水増しなら我々のノウハウがものを言う!! 都内屈指の優良工場 ボディショップSUNDAY 高木優一!!! 真のZ32を知らしめたい!! 山下ファクトリー 山下だァ!!! 初登場時はインプレッサだが最終的にZ32のドライバーだ!! 六本木のキャバ嬢 森下マコトだ!!! 母親対策は完璧だ!! とびきりのエキゾースト マツ!!!! 全車種のベスト・セッティングは私の中にある!! CPUセッティングの神様が来たッ 富永公!!! 技量が同じなら絶対に敗けん!! チューナーのプライド見せたる RGO 山中だ!!! プライベーター(なんでもあり)ならこいつが怖い!! 御殿場のロータリーオヤジ 林だ!!! 岐阜県O市から異母兄弟が上陸だ!! カメラマン見習い 岸田ユウジ!!! 速い車を作りたいからチューナー(RGO)になったのだ!! 大田マジックを見せてやる!!大田和夫!!! めい土の土産にポルシェターボとはよく言ったもの!! 北見チューンが今 実戦でバクハツする!! 地獄のチューナー 北見淳先生だ―――!!! FD3SこそがC1最速のクルマだ!! まさかトップ引きをしてくれるとはッッ マサキ!!! クルマが好きだからここまできたッ キャリア一切不明!!!! 本気組のピット(ちょっとヤバい)チューナー 山本和彦だ!!! 32Rはまがい物ではない 本物の竜なのだ!! 御存知嫁泣かせ 平本洸一!!! オレの10年はこの33Rにある!! オレのRが死んでゆくのか!! 黒木隆之だ!!! タンマァァァァァッ説明不要!! VIPカー!!! 本名佐々木元!!! ガッちゃんだ!!! クルマ屋は車が好きでナンボのモン!!! 超実戦自動車整備!! 高橋自動車から高橋功太の登場だ!!! アイツはウチの生徒 サボるやつは思いきり訪問し思いきり叱るだけ!! 忘れ去られたクラス担任 嶋田るみ 自分を試しに東京へきたッ!! 大阪環状最速 神谷エイジ!!! FDに更なる愛情を注ぎ ”FDマスター”荻島が帰ってきたァ!!! 今の自分に選択肢はないッッ!! 夜逃げチューナー三木安彦!!! 幻のF1タービンが今ベールを脱ぐ!! 船舶業界から 木村のとっつぁんだ!!! カレの前でならワタシはいつでも全盛期だ!! 最高のR乗り 秋川零奈 本名で登場だ!!! 評論家の仕事はどーしたッ ゼロのFC 未だ忘れられずッ!! ホメるもケナすも思いのまま!! 城島洸一だ!!! 特に理由はないッ GT-Rが速いのは当たりまえ!! 友也にはないしょだ!!! ガレージACE! 後藤元がきてくれた―――!!! プライベートで磨いた80スープラ!! 幻の男のデンジャラス・忘れ形見 相沢圭一郎だ!!! かませ犬だったらこの人を外せない!! R200CLUBリーダー 元木康郎だ!!! 超一流カメラマンの超一流のドライブだ!! 生で拝んでオドロキやがれッ 六本木での二重駐車!! イシダヨシアキ!!! あのEgはこの女が完成させた!! RGOの切り札!! 大田リカコだ!!! 首都高の伝説が帰って来たッ どこへ行っていたンだッ 悪魔のZッッ 俺達は君を待っていたッッッ朝倉アキオの登場だ――――――――ッ 加えて作者都合による休載発生に備え超豪華なリザーバーを4名御用意致しました! 実写映画は黒歴史 菱木研二!! ナンパ大好き高校生 ハジメ!! 誰もが恐れる男!J! ……ッッ どーやらもう一名はエンコで遅れている様ですが、到着次第ッ皆様にご紹介致しますッッ 関連レス コメント 名前
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「年貢した際のコメントに"湾岸ルールでお願いします"などの記述を添えると、そのゲームは本編の抽選から外れる」というルール。 選考会などで差し戻しになった場合は、本編でも抽選されるようになる。 「放送として面白いか分からないので、試しに本編以外でやってほしい」、「一発ネタなので本編で見るのは厳しいかも」などの理由で、比較的ゲームを中断しやすい本編以外で皇帝にプレイしてほしいというときに使用する。
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湾岸ミッドナイトシリーズ 機種 タイトル 概要 判定 元気系列 AC 湾岸ミッドナイト 記念すべき『湾岸ミッドナイト』初のゲーム化。『首都高バトル0』がベースの作品。アーケードゲームでは唯一無二のSPバトルよろしくライフゲージバトルシステムを採用。 スルメ 湾岸ミッドナイトR 前作をベースにライバルカーのプレイアブル化などの追加要素を盛り込んだVer.UP版。 PS2 湾岸ミッドナイト 基本的にアーケード版の移植だが、ストーリーモードなどの追加要素がある。 PS3 湾岸ミッドナイト 元気から発売された唯一のPS3作品。ボリュームの薄さと蛇足な仕様などから評判は芳しくない。 PSP 湾岸ミッドナイト ポータブル 系譜的にPS3の移植扱いだが、実際はPSP版『首都高バトル』をベースとしたPS2版の劣化移植。 クソゲー 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE AC 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE ゲームエンジン「ENMA」から生み出された挙動は数多くのユーザーの関心を引かせた。ストーリーモードとタイムアタックと乱入対戦だけの、シリーズ随一のシンプルなシステム。ちなみに、ロケテスト段階でのサブタイトルは『MAXI BOOST』となっていた。 賛否両論 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 2 ランク制と4人対戦と10人抜きモードを新たに追加し、シリーズの基礎と競争要素を強化。無敗特典の初出でストーリーモードの構成が変更された。 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 3 分身対戦が新たに追加。ドレスアップの幅が大幅に広がり、シリーズ人気に火をつけた。ストーリーモードが原作に沿った内容へと変更。 賛否両論 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 3DX 名古屋高速環状を追加。新たにストーリーモードの連勝数を追加。 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 3DX PLUS 福岡都市高速と往年のGT-R2車種を追加。 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 4 現行の新筐体に一新。ターミナルでゲーム外でもドレスアップ等がいつでも可能に。ゲンバラがRUFに変更。 賛否両論 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 5 湾岸マキシ.NET初登場。副都心エリアと多数の外車が収録された。 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 5DX 神戸エリア追加。 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 5DX PLUS 広島高速が追加。 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 6 分身対戦の対戦人数が4人まで選択可能となり「多人数分身対戦」に名称変更された。アプリ「湾岸ナビゲーター」初登場。そして悲願のポルシェ初収録。 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 6R 全国街道チャレンジモード採用。だが、初の新曲が登場しないタイトルとなり、メニュー画面BGMも前作から一切変更なし。 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 6RR ドレスアップ可能なGT-R「GT-R50 Italdesign」とビンゴチャレンジ・湾岸甲子園が追加された。再び新曲が追加され、メニュー画面のBGMも新曲となった。 湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 6RR PLUS ※2024年7月17日より執筆可能 関連作 AC リッジレーサーV アーケードバトル 『無印R』と筐体を共有している。 マリオカート アーケードグランプリ こちらもナムコが制作。筐体やシステムが一部流用されている。 良 マリオカート アーケードグランプリDX マキシマムヒート 『湾岸マキシシリーズ』開発スタッフによる3Dメガネ対応レースゲーム。ゲームエンジン「ENMA」を流用したうえで更にカジュアルにチューニング。 Dead Heat Riders 『マキシマムヒート』のエンジン・コースをそのままに、搭乗車両をオートバイに変更。海外向け製品で、日本ではごく一部のナムコ直営店でのみ稼働。 iOS/Android ドリフトスピリッツ 基本プレイ無料。『湾岸マキシ』シリーズや『リッジレーサー』シリーズの流れを汲んだ作品。同作のキャラ・車が登場するコラボイベントが実施されたことがある。 執筆禁止 関連シリーズ 首都高バトルシリーズ 元気開発のレースゲームシリーズ。開発協力に加えて一部データはここから流用されている。 頭文字Dシリーズ 同じ講談社のカーバトル漫画原作のレースゲームシリーズ。激走祭を始め公式コラボが不定期に開催。